大館市葛原の山あいに鎮座している「老犬神社」の紹介記事です。
老犬神社
大館市には老犬神社という、忠義な犬であるシロをお祀りしている神社があります。
犬を祀る神社は全国でもめずらしいとされています。
毎年4月17日には大祭が開かれ、地域住民や遠方からの参拝者でにぎわいます。
神事ではシロを供養するとともに、今年一年の家内安全や五穀豊穣、天変地異から守ってくださるよう祈願します。
2024年で404回目の大祭となり、今まで継承されてきた伝統の祭典です。
さて、祀られているシロとはどのような犬だったのでしょうか?
悲劇の物語のはじまりです。
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忠犬シロと貞六の物語
江戸時代の中頃、鹿角市大湯にマタギの定六(さだろく)が妻とシロという秋田犬と暮らしていました。
定六の先祖は由緒あるマタギであることから、狩猟免状を藩主から与えられていました。
この狩猟免状は、他の領地で狩りをしても罰せられることがなく、関所を通ることも許されるというマタギの命を保証してくれる免状でした。
ですから狩猟をするときは必ず免状を持っていなければいけませんでした。
しかしある寒い冬のこと、定六はシロと一緒に狩猟免状の巻物を忘れて狩りに出かけてしまいました。
定六とシロは鹿角を越えて三戸城の近くでカモシカを追いかけお城に向かって発砲してしまいました。
言わずもがな鉄砲の音を聞きつけた三戸城の兵に定六は捕まってしまいます。
「お前は何者だ、どこから来たのだ。我が領内で発砲するとは見過ごすわけにはいかない」
「いや、俺は大湯から来たマタギだ。狩猟免状も・・・」
ところがその日に限って狩猟免状を家に忘れてきてしまっていたのです。
捕らわれた主人を追いかけ牢屋に来たシロに定六はお願いしました。
「なぁシロ、俺がいつも持ってる狩猟免状を家から持ってきてくれないか?あの巻物だよ。」
するとシロは大きく身震いし、暗闇の中へ消えていきました。
シロは幾つもの冬山を越えて家へたどり着くと、定六の妻にせわしなく吠えましたが、彼女は何のことか分からずシロにご飯を与えました。
再び定六の元に戻ったシロに、定六はまた一生懸命お願いします。
「シロ、竹筒に入れたあの巻物だよ。お前にも見せたよな、仏壇の引き出しにしまってあるから持ってきておくれ。あれがないとここから出られないんだ・・・」
そしてシロは疲れた体を休めることなくまた走り続けます。幾つもの雪山を越えて家へ戻り、免状の置き場所である仏壇の前で吠えました。
定六の妻はこれはただ事でないと察して、免状のことに気が付きます。
仏壇の引き出しを開けると免状があるので、急いでシロに持たせました。
「シロ、すぐに気が付かないでごめんよ、免状を持って行ってくれるかい?」
しかし、シロが力の限りを尽くして定六の元に駆け戻ったときには、すでに処刑されていて亡骸が無残に横たわっていました。
主人の亡骸を土に埋めたシロ、その夜から幾日幾夜も、シロの悲しい鳴き声が山頂から響きました。
そして定六の処刑に関係した人々は、間もなく無残な死を遂げたと言われています。
罪人の定六となった定六の妻とシロは大館市葛原に移り住みましたが、いつからかシロの姿が見えなくなります。
その後、武士が馬でこの辺りを通ると突然馬が暴れだし落馬して大けがを負う悲劇が続きました。
村人は主人を守れなかったシロの想いを知り、山腹に神社を建ててシロを祀りました。
今でも毎年4月17日に例大祭が開かれ、シロへの愛情を守り続けています。
例大祭 4月17日 ~参拝~
大館から鹿角方面へ葛原バイパス103号沿い、左手に「老犬神社」の看板があります。
大館市葛原の沢尻を過ぎてすぐのところ、民家を通りぬけていくうちに上り道が強くなってきます。
ところどころに「老犬神社」の看板があって、看板の通りに進みました。
さほど複雑な道はありませんでした。
8台ほどの駐車スペースがあります。山道を登り拝殿の前も5台ほどの駐車スペースがあります。
取材した日は例大祭だったため、満車に近い状態でした。
階段を上がって鳥居をくぐると、険しい山道が見えます。
木の根っこまで上がって振り返りました。駐車場が見えますね。
鳥居右手に道路があります。
車一台幅の斜面道路があって、山道よりも登りやすくなっていますが、想像していたよりも傾斜がきつくて驚きました。
拝殿まで180Mなので、5分~10分で到着できることはできます。
例大祭のため、大変にぎわっていました。
犬を連れて参拝してる方もいました。神事が厳かに行われています。
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外観
狛犬は獅子ではありませんでした。
老犬神社という名の通り、犬が狛犬です。
彫刻された蟇股(かえるまた)。
中央のものはやはり犬に見えます。
「木鼻」も犬かもしれませんね。
拝殿の近くにも鳥居があります。
そして巨大な杉の木が2本、両側にそびえています。
樹齢何年でしょうか。
両手を広げて計ってみたところ、、、直径約160㎝と考えられます。
上の写真が新しい灯籠で、その右後ろに見えるのがそれ以前に建てられた灯籠です。
古い方の灯籠には建立年月「昭和43年 旧4月17日」と刻まれています。
その昔、祭りを行う日というのは、田植え、収穫、潮の満ち引き、月の満ち欠けを基準にして行われていました。
しかし毎年月の満ち欠けは異なることから、祭りごとを現代の人々の生活リズムに合わせにくくなっていきました。
本大祭も様々な理由から新暦の4月17日に移したのでしょう、様々な祭り日が現代の生活リズムに合わせて改変されていった時代、「昭和43年 旧4月17日」とあえて刻まれたことにも意味があるように感じました。
マタギの狩猟免状
南部藩主の殿様がマタギ佐多六(さだろく)に与えた狩猟免状です。
どういうことが書いてあるかというと・・・
・佐多六(さだろく)の先祖が、俵藤太(たわらのとうた)に連なる由緒ある又鬼定六であること。
・その又鬼定六が源頼朝が富士山麓で催した巻狩り(言うなれば、狩猟大会)で活躍したこと。
・又鬼定六が、マタギの免状を源頼朝から与えられたこと。
・その俵藤太(たわらのとうた)に関係している由緒あるマタギであるが故に、子孫である佐多六においても、他の領地に入って獲物を追い込んでも狩猟免状を見せることによってとがめられることはない。
・領地と領地の境界に設置されている関所を通る場合も、狩猟免状を見せることによってとがめられることはない。
という内容が書かれています。
ちなみに俵藤太(たわらのとうた)とは平将門を討ち取った人ですね。
俵藤太は別名藤原秀郷(ふじわらのひでさと)です。
「老犬神社」の基本情報
- 所在地:大館市葛原
- 例大祭:4月17日
- 主祭神:忠犬シロ