【大館】鳥潟会館 国指定名勝へ| 秋の庭園 後編

文化

秋田県大館市にある「鳥潟会館」の紹介記事です。

令和6年6月24日、文部科学省の文化審議会から、鳥潟会館庭園を国の名勝として指定するよう文部科学大臣に答申されました。

令和6年秋以降、正式に国指定名勝となる予定です。

今回は秋の庭園 後編となります。

前編を見ていない方はこちらをご覧ください。

 → 【大館】鳥潟会館 | 秋の庭園 前編

 


   

 

鳥潟会館とは

鳥潟会館とは旧鳥潟家住宅とその庭園のことをいいます。

旧鳥潟家住宅は、1760年代(江戸時代中頃)に建築されたもので、数寄屋(すきや)造りの建物となっています。

その後、1936年(昭和11年)、鳥潟家の第17代鳥潟隆三(とりがたりゅうぞう)氏が旧鳥潟家住宅と庭園を増改築しました。

曳家(ひきや)という手法を使って当時の邸宅を移動させ、現在の場所に置いた後、邸宅の増改築を行いました。

鳥潟隆三氏が増改築した部分は京風の造りとなっており、鳥潟隆三氏のこだわりが建物や庭園のいたるところに見られる造りとなっています。

2011年(平成23年)、秋田県指定有形文化財に指定されました。

また、令和6年秋以降、正式に国指定名勝となる予定です。

鳥潟会館敷地図

 

鳥潟家とは

鳥潟家は1600年代初めころから代々続いている名家で、花岡村の肝煎(きもいり)を務めました。

肝煎(きもいり)とは

  江戸時代の役職名で、村の開発、整備、神社仏閣への寄進などを行いました。

  地域のために尽力、貢献する家のことです。地主でもありました。

 

鳥潟家は学者を始め、多くの偉人を輩出した家系です。

 

鳥潟隆三氏とは

京都帝国大学名誉教授 医学博士

鳥潟隆三 (1877~1952)

現在の鳥潟会館を造った鳥潟隆三氏とはどのような人だったのでしょうか?

鳥潟隆三博士は1877年(明治10年)、鳥潟精一、静子の長男として函館にて生まれました。

 

隆三博士は花岡生まれの叔父の鳥潟恒吉(つねきち)氏による英才教育のおかげで京都帝国大学医学部へと進学し、恩賜(おんし)の銀時計を授与されるほどの優秀な成績で卒業しました。

恩賜(おんし)の銀時計とは主席や次席で卒業した生徒に与えられた天皇からの賜りもののことです。

1914年(明治45年)、スイスのベルン大学に留学して血清細菌を研究しました。

帰国後は大阪に自身の鳥潟免疫研究所と鳥潟病院を創設しました。

 

外用薬コクチゲン(鳥潟軟膏)を開発し、また肺結核外科手術の向上に貢献しました。

外用薬コクチゲン(鳥潟軟膏)を開発した功績により、日本で16番めにノーベル医学賞にノミネートされましたが惜しくも受賞は逃しました。

日本外科 学会会長を2期務めた日本を代表する外科の名医でした。

そんな隆三博士が幼少の頃や休暇の合間に静養で訪れた花岡の鳥潟邸宅、自身の両親や叔父たちが愛したこの土地を隆三博士もまた親しみ訪れたと言われています。

 

五稜池(ごりょういけ)

「五稜池(ごりょういけ)」とは隆三博士がつけた池の名称です。

隆三博士は函館で生まれたことから「五稜」という雅号(がごう)を使っていました。

雅号(がごう)とは文人、画人が本名以外につける風流な名前のことです。

「五稜」とは存じ上げの通り、函館の「五稜郭」からとったものです。

日本の夏は蒸し暑いため、涼むために池が設けられています。

日本庭園の池は「洲浜(すはま)」という海を表現した造りになっているものが数多くあります。

「洲浜(すはま)」とは、海の情景を映し出すために、玉石をなだらかに敷きつめることで潮が引いてあらわれた砂浜を表現したもののことを言います。

州浜は上写真の左側に作られていますが、現在は落ち葉や土などに埋まっていて玉石を見ることはできませんでした。

このような庭の造りは京都の庭師の名門「小川治兵衛氏」が考案したもので、本庭園を手掛けた粕谷幸作氏は「七代目小川治兵衛氏」の門弟でした。

「七代目小川治兵衛氏」は明治から昭和にかけて活躍した庭師で、明るく開放的な景観の庭を作り上げた人です。

中島(なかじま)

日本庭園の池として特徴的なことの1つは「中島(なかじま)があることです。

日本は海に囲まれた島国ということから、池には「中島」を浮かべるという思想があります。

中島は水に浸食されることを防ぐため、盛土で造らずあらかじめその部分を残して池を掘ります。

また、池(海)の中に浮かぶ石や周囲の石を景石と言います。

本庭の景石は福井県の若狭湾から採取した石で、汽車で花岡駅まで運び、更に馬を使って本庭まで運んだとそうです。

隆三博士の庭に対するこだわりが見られる景観となります。

邸宅、庭園ともに京都を中心に活躍した職人に託し、完成した建造物となっています。

建築家である中村昌生(なかむらまさお)さんも二階の茶室をご覧になった際に

「東本願寺と同じくした、技術的には文句の付けようがない名工の造りである」

と、絶賛していたと聞きました。

 

 

 

灯籠

鳥潟会館には10個ほどの灯籠が置かれています。

こちらは東屋の向かいにある高さ3mもある巨大な立ち灯篭です。

灯籠には鳥潟家の家紋「花菱」が彫られています。下の基礎石の所に6個、火袋の所に6個、風化により写真では見えずらいかもしれません。

良質な花崗岩(かこうがん)の産地である岡崎市から取り寄せて造られたものと言われています。

 

上写真の右側にある灯籠は雪見灯籠という灯籠です。

立ち灯籠違って柱が無く、低く作られているのが特徴です。
傘が大きく、足が3本で支えられているため、高さは低いものの大きく感じます。
足元を照らす特性から、雪見灯籠は水面を明るく灯すことが役割なので、池の水際、船着き場に設置されている場合が多いです。

社殿の後ろにも多重塔があります。

大変高さのある塔となっています。

その他にこのような形の灯籠がありました。


   

 

鞍馬石(くらまいし)

鞍馬石(くらまいし)は、主屋東側の縁側にある巨大な沓脱石(くつぬぎいし)として使われています。

鞍馬石は他の石と比べて柔らかく、磨耗しにくく、風化にも耐えることから敷石としては最高級とされています。

隆三博士が京都から取り寄せたそうです。

また、表門の乗越え石にも鞍馬石が使われています。

その他、庭園内の飛び石の多くに鞍馬石が使われています。

 

 

草庵茶室(そうあんちゃしつ)

草庵茶室(そうあんちゃしつ)とは、草庵の風情を取り入れた茶室のことです。

草庵とは俗世から離れた人や茶人が暮らした、かやぶきや藁で屋根をふいた簡素な建物のことです。

千利休が設計し確立させました。

建築家である中村昌生(なかむらまさお)さんの見立てによると、

この茶室は茶人の好みというよりも文人好みの茶室のようだ。というように隆三博士の独自な茶境から発想された茶室だろうと考えられます。

主屋と庭園と一体化された草庵茶室は保存されるべき建築物と考えられています。

 

 

鳥潟会館の基本情報

  • 入館料無料
  • 会館時間:9:00~17:00(11月~3月は9:00~16:00)
  • TEL:0186-46-1009
  • 住所:017-0005 秋田県大館市花岡町字根井下156
  • 休館日:毎週月曜日(月曜日が祝日のときは翌日)、年末年始

 

まとめ

いかがだったでしょうか。

大館市花岡町にある鳥潟会館の秋の庭園をまとめました。

前編と併せてごらんになってくださいね☆

→ 【大館】鳥潟会館 | 秋の庭園 前編

鳥潟会館の庭園を楽しむ際のポイント
  • 京風の日本庭園を見ることができる
  • 入館料無料で気軽に入ることができる