大館市街地にある理髪師と美容師に関係のある神社の考察記事です。
その神社は横山児童公園と呼ばれる公園にあります。
名前が書かれていない神社
子どもの頃、よく遊んでた「横山児童公園」。
この公園には、鳥居がなく神様の名前が書いている額などもないお社が建っています。
子供ながらに
「この建物は神社なんだろうなぁ、きっとこの公園を護っているんだな」
と思いながら、誰かに聞くことも調べることもなく現在に至りました。
最近になってまた気になり、母になにげなく
「横山児童公園にある神社って、なんの神さまか知ってる???」
と聞いたところ
「うーーん・・・確か、たーちゃんが床屋の神さまだって毎月お参りしてたわよ。」
と言うではありませんか。
「ぴーーーん☆」
ときた私は、さっそく横山公園へ出向きました。
そういえばお社の隣に大きな石碑があった、それも気になっていた。と。
ちなみにたーちゃんとは私の大叔母で理容師をしていた人です。
神社の横にある采女(うねめ)の碑
ありましたね、お社の右横に石碑が。
采女(うねめ)と読みます。
采女(さいじょ)とも読みます。
采女とは天皇や皇后に仕え、身の回りのお世話をする女性の役職のことです。
でですね、ここでいう采女(うねめ)とはお世話をする女性役職のことではないんです。
鎌倉時代(1300年ころ)に存在した藤原采女亮政之(うねめのすけまさゆき)公のことを言います。
藤原采女亮政之(うねめのすけまさゆき)は理美容師の開祖といわれている人で、今ではご祭神として京都の御髪神社(みかみじんじゃ)に祀られている人です。
京都の御髪神社についてはこちら
→ https://mikami-jinjya-kyoto.com/
髪結いの技術が高く評価され、幕府から重宝された人でした。
采女の碑は、長野の善光寺(ぜんこうじ)を始め、全国に数多く存在するようです。
こちらの采女の碑の裏側には、大館の理美容組合の発展を願う意味も込めてこの碑を建立したというようなことが刻まれていました。
藤原采女亮政之(うねめのすけまさゆき)の命日が17日だったことから、昭和の初めまで全国の理美容業界は毎月17日を休業日としました。
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ということは、隣にある神社は髪結い師藤原采女亮政之(うねめのすけまさゆき)公、あるいは彼に関係する人物を祀る神社なのかもしれません。
参拝
お社の手前の柱と梁の所に、鳥居が掲げられていました。
外壁は土蔵造りとなっています。
子供の頃は毎日のように遊んでいた公園でした。
今回、初めてのお参りとなります。
お社の隣に七庚申の碑がありました。
昔ながらの日めくりカレンダーなどには書いてあるのですが、庚申という暦が一年で何度かあります。
で、一年のうち7回目の庚申の日というのが珍しく、それで石碑を立てる風習がありました。
そんな風習はつい最近まであったようです。
やはりこの場所は昔から人々が集まる場所だったということが分かります。
そして、日本人は暦を大切にしていたことが分かります。
まとめ
今回、神社の横に建立されている采女(うねめ)の碑を通して藤原采女亮政之(うねめのすけまさゆき)公という人物が理髪師・美容師の開祖であり、京都の御髪神社に神さまとして祀られていることを知りました。
横山児童公園に鎮座している神社が、実際、何の神さまをまつっているのかは分かりませんでしたが、
・大叔母である理髪師たーちゃんが理髪師の神さまだと毎月お参りしていたこと
・采女(うねめ)の碑が隣に建立していること
このとから私は、藤原采女亮政之(うねめのすけまさゆき)公に関係する神社ではないかという考察結果としました。
名前がなく、何の神さまをまつっているのか分からない神社というのは案外多いのかもしれません。
そのような神社に興味を持ち、調べているとき。
手掛かりをつかんだとき。
遠い過去にあった出来事、その人の人物像や歴史を知ったとき。
わくわくします。
横山公園の神社ついてもここで終わらず、理髪師さんに聞くなどしてさらに深堀りできるよう、調査をすすめていきたいと思います。
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「采女(うねめ)の碑」の基本情報
- 大館市柳町児童公園 大館市中町45-2