秋田県大館市の市街地、横山児童公園の一角にひっそりと佇む小さな神社をご存じでしょうか。
鳥居も名前を記した額もなく、子どもの頃は「この公園を護る神社なのかな」となにげなく傍らに存在を感じながら遊んでいた場所。
しかし、元理容師の大叔母から聞いた「床屋の神様なんだよ」という一言をきっかけに調べてみると、想像以上に奥深い歴史が隠されていました。
隣に立つ「采女(うねめ)の碑」が語る、理美容師の開祖と神社との意外な関係とは?
長年の疑問を解き明かす考察をお届けします。

名前が書かれていない神社

子どもの頃、日常の遊び場だった「横山児童公園」。
この公園の一角には、鳥居も無ければ、神様の名前を記した額(扁額)すらない小さな「お社(やしろ)」が建っています。
子供ながらに
「ここは何かの神社なんだろうな。きっとこの公園を護ってくれているんだ」
と何となく思いつつも、特に調べることもなく大人になりました。
ところが最近になって、ふとそのお社の存在が気になり、母に尋ねてみたのです。
「横山児童公園にあるあの神社って、何の神様を祀ってるか知ってる?」
すると、母から思いがけない答えが返ってきました。
「うーーん……確か『たーちゃん』が『床屋の神様だ』って言って、毎月お参りに行ってたわよ」
「ぴーーーん☆」
その言葉を聞いた瞬間、なにかが繋がるような感じがしました。
(※ちなみに「たーちゃん」とは、理容師をしていた私の大叔母のことです)
「そういえば、お社のすぐ隣に大きな石碑があったはず。……!」
あの神社と石碑には、一体どんな関係があるのか?
長年の謎を確かめるべく、私はさっそく横山児童公園へと向かいました。
神社の横にある采女(うねめ)の碑
ありましたね、お社の右横に石碑が。
「うねめ」か「さいじょ」か


采女(さいじょ)と読みます。
采女(うねめ)とも読みます。
「さいじょ」と「うねめ」とでは人物像、役職などがまったく違うものです。
結果から言うと、この石碑は采女(うねめ)のことを表していました。
采女(さいじょ)とは
「采女(さいじょ)」とは平安時代よりももっと前、天皇や皇后に仕え、食事をはじめ身の回りのお世話をする女性の役職のことです。
教養の高さ、容姿が求められることから豪族の娘がその役割を果たしました。
采女(うねめ)とは
でですね、ここでいう采女とはお世話をする女性役職「さいじょ」のことではなく、
鎌倉時代(1300年ころ)に存在した藤原采女亮政之(ふじわらのうねめのすけまさゆき)公のことでした。
藤原采女亮政之(ふじわらのうねめのすけまさゆき)は理美容師の開祖といわれている人です。
京都の御髪神社(みかみじんじゃ)のご祭神としてまつられています。
御髪神社は、日本で唯一の「髪」を守る神社で、髪の悩みを持っている人や、理髪師、美容師にとって特別な神社となっています。
京都の御髪神社(みかみじんじゃ)についてはこちらをご覧ください。
→ https://mikami-jinjya-kyoto.com/
藤原采女亮政之(ふじわらのうねめのすけまさゆき)は髪結いの技術が高く評価され、鎌倉幕府から重宝された人でした。
采女の碑は、長野の善光寺(ぜんこうじ)を始め、全国に数多く存在するようです。

こちらの采女の碑の裏側には、
『大館の理美容組合の発展を願う意味を込めてこの碑を建立した』
というようなことが刻まれていました。
藤原采女亮政之(うねめのすけまさゆき)の命日が17日だったことから、昭和の初めまでは全国の理美容業界は毎月17日を休業日とされていました。
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ということは、この碑の隣にある神社は、髪結い師藤原采女亮政之(うねめのすけまさゆき)公、あるいは彼に関係する人物を祀る神社なのかもしれません。
采女亮政之(うねめのすけまさゆき)とは

藤原采女亮政之(ふじわらのうねめのすけまさゆき)は鎌倉時代の末期に京都で生まれました。
父は京都御所の警備の仕事をしていた人でしたが、ある日のこと京都御所の宝刀を盗難されてしまう事件が起きました。
紛失してしまった責任を負う形で采女亮政之の父は役職を退きます。
そして宝刀が海外へ流出することを防ぐために山口県の下関に居を構えました。
そんな父に連れ添い行動を共にしたのが采女亮政之でした。
采女亮政之親子は宝刀を探しながら、髪結いの技術を習い生計を立てます。
髪結いの仕事はたいへん繁盛したそうです。
また、探していた宝刀も無事見つかり取り戻すことができました。
宝刀を納めた後は下関から鎌倉へ移り住み、髪結い師として一生幕府に仕えました。
参拝レポート
お社の手前の柱と梁の所に、鳥居が掲げられていました。
外壁は土蔵造りとなっています。
子供の頃は毎日のように遊んでいた公園でした。
今回、初めてのお参りとなります。



お社の隣には七庚申の碑があります。


昔ながらの日めくりカレンダーなどで目にする「庚申(こうしん)」という暦。
「庚申(こうしん)」という暦。 庚申の日は年に何度か訪れますが、実は一年のうちに7回目の庚申の日が巡ってくる年はとても珍しいのだそうです。
昔の人々は、このめったにない「7回目の庚申の日(七庚申)」を記念して石碑を建てる風習がありました。
そのような風習が比較的最近まで残っていたことを考えると、この場所が昔から地域の人々の集まる大切な拠点だったことが伺えます。
この場所もまた、暮らしの中に暦を取り入れ、節目を大切にしてきた日本人の文化や人々の祈りが感じられる、興味深いスポットです。
まとめ
今回、神社の横に建立されている采女(うねめ)の碑を通して藤原采女亮政之(うねめのすけまさゆき)公という人物が理髪師・美容師の開祖であり、京都の御髪神社に神さまとして祀られていることを知りました。
横山児童公園に鎮座している神社が、実際、何の神さまをまつっているのかは分かりませんでしたが、
・大叔母である理髪師たーちゃんが理髪師の神さまだと毎月お参りしていたこと
・采女(うねめ)の碑が隣に建立していること
このとから私は、藤原采女亮政之(うねめのすけまさゆき)公に関係する神社ではないかという考察結果としました。
名前がなく、何の神さまをまつっているのか分からない神社というのは案外多いのかもしれません。
そのような神社に興味を持ち、調べているとき。
手掛かりをつかんだとき。
遠い過去にあった出来事、その人の人物像や歴史を知ったとき。
わくわくします。
横山公園の神社ついてもここで終わらず、理髪師さんに聞くなどしてさらに深堀りできるよう、調査をすすめていきたいと思います。
- 横山児童公園には神社がある
- 横山児童公園には采女(うねめ)の碑がある
- 藤原采女亮政之(ふじわら うねめのすけまさゆき)は理美容師の開祖である
- 藤原采女亮政之の父は京都御所の警備の仕事をしていた
- 親子で下関で髪結いの技術を身に着けた
- 命日の17日を記して、毎月17日は理美容師の休日だった
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