【大館総鎮守】大館神明社の見どころ・歴史を解説!御朱印や境内末社も

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秋田県大館市の市街地に静かに佇む「大館神明社」。

1100年以上の歴史を誇り、「大館総鎮守」として地域の人々に親しまれている神社です。

この記事では、大館神明社の見どころや歴史、祀られている神様、御朱印情報まで分かりやすくご紹介します!

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大館神明社とは?ご利益や歴史の概要

大館神明社は、大館市の産土神(うぶすなのかみ)であり、「大館総鎮守」として長く親しまれている神社です。

主祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)が祀られています。

正式な創立年代は不明ですが、大館の歴史の始まりとともにこの地に鎮座していたと伝えられており、その歴史は1100年以上前に遡ります。

※産土神とは、その土地やそこに住む人々を神様のことです。

気になるご利益は

国家安泰・子孫繁栄・良縁成就

健康長寿・開運厄除・五穀豊穣

など多岐にわたり、まさに地域を丸ごと見守ってくれる心強い存在です。

また、創建当時から続いているとされる「大館神明社例祭」は、伝統あるお祭りで、地元の人々にとって特別な行事となっています。

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本殿に祀られている3柱の神様

天照皇大御神(あまてらすおおみかみ)

太陽神(たいようしん)天皇家の祖神(おやがみ)日本国民の総氏神(そううじがみ)です。

みずみずしい稲が実る豊かな日本のもとをつくった神様です。

初代天皇である神武天皇(じんむてんのう)が伊勢神宮にまつったことから、「お伊勢さま」とも呼ばれます。

その後日本国民の総氏神(そううじがみ)として、伊勢神宮から分類されて全国の神明神社などにまつられています。

天照皇大御神(あまてらすおおみかみ)

 

大年神(おおとしのかみ)

年神(としがみ)さまとも言われます。

お正月、この年取りの神様がやってきて、一年を元気に過ごすエネルギーをあたえてくれます。

豊かな実りをもたらす神なので、五穀豊穣、家内安全のご利益があります。

年神さまをお迎えするために、しめ飾りや門松、かがみ餅をおそなえします。

また一年が良い年になるよう、無事と幸せを願って神社やお寺へ行って初詣をします。

あきこ
あきこ

お正月、大館神明社もまた初詣で賑わいます

 

倉稲塊神(うかのみたまのかみ)

ウカノミタマノカミ

倉稲塊神(かのみたまのかみ)は、主に稲荷神社で祀られており、「お稲荷さん」と呼ばれ親しまれている神さまです。

五穀豊穣、商売繁昌、家内安全、諸願成就のご利益があるとして、先祖代々、人々の信仰を集めてきました。

「お稲荷さん」と聞くとキツネを思い浮かべる方が多いかもしれませんが、キツネそのものが神さまなのではなく、倉稲塊神のお使いとされています。

 

大館神明社の歴史|創建から再建までの歩み

大館神明社の成り立ち

イメージ画像

創立年代の詳細は不明ですが、大館の歴史が始まった当初から、産土神として小館花(現・泉町)の地に鎮座していたと伝えられています。

ここで言う「大館の始まり」とは、歴史書に初めてその名が登場する878年(元慶2年・平安時代前期)のことです。

この年、大和朝廷の厳しい統治に不満を募らせた大館地方の集団が秋田城を襲撃する「元慶(がんぎょう)の乱」が起きました。

大館神明社も、この時期の歴史的記録とともに語り継がれるようになったと考えられています。

現在の中神明町の地へ

歴史に再びその名が登場するのは、約800年後の江戸時代前期——1675年(延宝3年)のことです。

佐竹家の一族である上平義景氏が、佐竹家ゆかりの「常陸国」の神様と、小館花の「古神明社」の神様をあわせて現在の中神明町へと移し祀りました

これが現在の大館神明社の基礎となっています。

しかし、それから約200年後の1870年(明治3年)、大館を襲った大火災によって本殿が全焼。

社務所に保管されていた貴重な古文書や記録の多くが失われてしまいました。

それでも地域の人々の手によってすぐさま復興が進められ、わずか6年後の1876年(明治9年)に再建

現在私たちが参拝している社殿は、このときに再建された歴史ある建物です。

大館神明社の境内見どころと参拝ルート

参道と御手水

大館神明社の正門をくぐると、まず「境内案内図」があり、全体像を確認してから進むことができます。

一の鳥居から二の鳥居へと続く参道には一面に砂利が敷き詰められており、歩を進めるたびに「ザックザック」と心地よい音が境内に響きます。

参道

2つ目の鳥居の手前には御手水(おちょうず)があり、お参りの前に手や口をゆすいで身を清めることができます。

御手水(おちょうず)

手前に見える二の鳥居には「東宮殿下御成年式記念 大正八年五月七日」と刻まれており、昭和天皇の御成人(ごせいじん)を記念して建立された歴史ある鳥居です。

狛犬

3つめの鳥居をくぐり、境内を進むと、歴史を感じさせる狛犬が佇んでいます。

台座に「弘化2年」と刻まれていることから、およそ180年前(江戸時代末期)に奉納され、それ以来、神社を護り続けていることになります。

狛犬は神社を守る霊獣で、口を開けた「阿形(アギョウ)」と、口を閉じた「吽形(ウンギョウ)」が対になっています。

(上が阿形、下が吽形です。)

拝殿

拝殿の中を拝見いたしました。

拝殿内

拝殿内に飾られている大きな扁額の絵は、「天岩戸開き(あまのいわとびらき)」伝説と思われます。

天岩戸開き(あまのいわとびらき)のざっくり開設

アマテラスさんが天岩戸(あまのいわと)に引きこもってしまい、世界は真っ暗に。

困ってしまった神々たちは、彼女を外へおびき出すために大パーティを開催します。

天鈿女(あめのうずめ)

外の賑やかさにアマテラスさん

「え…?なになに?何が起きているの?」

と、岩戸の隙間からこっそり覗き込むアマテラスさん。

視線の先では、天鈿女(アメノウズメ)ちゃんがノリノリでダンスを披露していました。

「ウズメちゃん!?」

と、アマテラスさんが思わず身を乗り出したそのチャンスを見逃さず、超力持ちのイケメン神・タヂカラオくんが

ばすーん!!

と岩戸を力任せに開放!

無事にアマテラスさんを外へお連れしました。

こうしてふたたび世界に太陽の光が戻りました。

というお話です。

そもそも、なぜアマテラス様が岩戸に引きこもってしまったのかというと、弟であるスサノオくんの乱暴な振る舞いが原因でした。

スサノオの暴走――田んぼの畦を破壊したり、大切にしていた機織り(はたおり)の神さまを失ってしまったショックが原因で、岩戸に閉じこもってしまったのです。

太陽神が隠れたことで、世界は真っ暗闇、困った困った神々……。

こうしたドラマチックで面白いエピソードが満載なのが日本神話の魅力。

『古事記』や『日本書紀』と聞くと少し難しそうに感じるかもしれませんが、読みやすい絵本や児童書、マンガなどもたくさん出版されています。

興味を持たれた方は、ぜひ手に取ってみてくださいね。

摂社・末社

大館神明社の境内にはいくつかの摂社・末社があります。

摂社や末社とは、本殿の神さまに関係のある神さまをまつったり、他の神社から分けていただいた神さまをまつっている社殿のことです。

お神輿(みこし)

大館神明社のお神輿は、明治3年の大火によって一度焼失してしまいましたが、明治7年に無事再建されました。

普段は神社に鎮座されている神様ですが、毎年9月10日、11日に行われる「大館神明社例祭」の際には、こちらのお神輿にお移りいただき、大館市内を巡行します。

街を巡行することによって、各ご家庭へ神様のご神徳、ご利益が行き渡ると信じられています。

大館神明社 お神輿

大館天満宮(おおだててんまんぐう)

御祭神は、学問の神様として知られる菅原道真(すがわらのみちざね)公で、学業成就、合格祈願などのご利益があります。

こちらの境内に佇むお社は、不思議なほど写真に収めるのが難しく感じるスポットですが、中の社殿も素敵な神殿造りとなっています。

大館の文化発展、学業成就を祈願するため、日本三大天神として有名な「北野天満宮」太宰府天満宮」「湯島天満宮」から御分霊を奉納し建立されました。

菅原道真公

道真は幼少期から「神童」と称されるほど学問に秀でており、のちに学問や詩歌、書道の神様として広く信仰されるようになりました。

大変優秀な人物でしたが、政治争いに巻き込まれて九州の太宰府に左遷され、無念のままその生涯を閉じました。

このような不遇の歴史と、その卓越した才能から、のちに天満宮の御祭神として祀られるようになったと言われています。

このようなことから天満宮に祭神としてまつられるようになりました。

道真が子供の頃は神童と呼ばれるほど学問に優れた人でしたので、学問の神、詩歌や書道の神として信仰されるようになりました。

古四王神社(こしおうじんじゃ)

「古四王」というどこか強そうな名前のこの神社は、古くから五穀豊穣と眼病平癒(がんびょうへいゆ)にご利益がある神さまとして親しまれてきました。

古四王神社

大館の古四王神社は、もともと秋田市にある古四王神社に由来しています。

その歴史は非常に古く、大和国を治めた第10代・崇神天皇(すじんてんのう/初代・神武天皇と同一人物とする説あり)の時代まで遡ります。

御祭神は2柱。

・武甕槌命(タケミカヅチ)

・大彦命(オオビコのミコト)

中でもタケミカヅチは、日本神話の中で剣の上に乗ってしまうほど強力な武神として知られています。

タケミカヅチ

北方地方からの異民族を防ぐ守護神として秋田市に祀られ「アギタノウラノカミ」と呼ばれました。

このことが「秋田」の地名の由来になったとも言われています。

それから何百年と歳月を経て、北陸(越国)の神さまや、蝦夷民族の神さまが融合、佐竹氏の入部を経て「古四王(越王)神社」として定着していきました。

大館神明社の境内に建てられた時期や経緯の詳細などは分かっていませんが、武士だけでなく町の人々を守る存在として、長い間この地に寄り添い続けている神さまです。

石碑 ~猿田彦大神(さるたひこおおかみ)など~

石碑が好きな人にとっては、ドキドキするような空間ではないでしょうか。

中でも猿田彦大神(さるたひこおおかみ)の石碑が多く配置されていました。

猿田彦大神(さるたひこおおかみ)は、進むべき道をしめす導きの神さまです。

旅人の守り神でもあります。

「古事記」の記述によると、鼻が長く、目は赤く光っていたとも言われているため天狗の原型であるとされています。

庚申(こうしん)の石碑も多くありました。

庚申(かのえ・さる)とも呼びます。

旧暦において60日に一度めぐってくる庚申の日は吉日とされていて、夜通し眠らない風習がありました。

風化が進んでいますが、庚申文字の上に日と月が描かれているのが素敵です。

庚申の石碑は日本中あちらこちらに設立されています。

以下の石碑は大館神明社の入り口付近にある石碑です。

この辺りの石碑は最初からここに置いたのではなく、もともと別の場所にあった石碑を移動して並べてますよね、あきらかに。

他にも多くの石碑が建てられています。

大館の人々の信仰心が、刻まれた石碑に反映されていることが分かります。

大館神明社の御守り

大館神明社の御朱印・いただく際の注意点

お正月や祭典の時期など、境内が混雑する時間帯は御朱印の対応をしていない場合がありますのでご注意ください。

まとめ

古くから「大館総鎮守」として崇敬されてきた大館神明社は、地域の安定と繁栄をずっと守り続けてきた存在です。

今回、記事を執筆するにあたって「日本書紀」や日本の歴史、秋田の成り立ちについて学び直しましたが、大館神明社がこの土地の豊かな歴史や文化をあらわしている存在であることを、改めて実感しました。

今も昔と変わらず、地域の守り神として人々の幸せを願い、未来を照らしています。

大館神明社のまとめ
  • 主祭神は天照大御神(アマテラスオオミカミ)
  • 1100年以上の歴史を誇る大館の総鎮守

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大館神明社の基本情報

神社名  大館神明社
住所〒017-0867  大館市中神明町1-5          
TEL0186-42-0846
駐車場敷地内に駐車場有り
こども園と併用の駐車場のため、朝夕の時間帯に注意が必要