秋田犬について調べていると、秋田犬の原型はかつて秋田マタギ犬と呼ばれる中型の犬であったことが分かりました。
秋田犬のルーツが秋田マタギ犬から来ていることを知り、秋田マタギ犬がどういった犬だったのかマタギと猟犬の関係について興味を持ったので調べました。
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マタギとは

マタギの生活
マタギとは東北地方を中心に山間部で暮らし、豊富な知恵や経験を生かしてクマをはじめ、シカ、キジなどの山の生きものを狩猟する人々のことをいいます。
マタギは古い時代から、山での狩りを生活の糧としてしてきましたが、その狩猟方法は独特で自己を律する厳しい戒律や山神様への信仰、儀式や風習を大切に守ってきました。
このようなマタギの精神が今でも根付いている地域が「阿仁地方」であり、マタギ発祥の地と言われています。
マタギの主な生活はというと、春から秋の間は農業や林業などの職業で生計を立てる。
そして冬の始まりになると山奥に入り、山小屋を拠点としてクマやシカ、ウサギやムササビなどを狩猟するという生活をしていました。
マタギの語源
マタギの語源はさまざまな説があります。
説1 アイヌ語
マタギは雪深い山谷を萱(カヤ)やススキに捕まりながら山の傾斜面を登ったり降りたりします。
とにかく山の中を歩きます。
このように狩猟をすることを、アイヌ語ではまたうんぱと言います。
またうんぱという言葉が語源となってマタギという言葉に変わっていったと言われています。
ちなみにマタギ発祥の地と言われている北秋田市の阿仁地方ですが、阿仁はアイヌ語のあんにが語源となっているそうです。
あんにとはうっそうとした木が繁り野獣が潜む山という意味です。
以上のことから阿仁やマタギという言葉がアイヌ語との結びつきが強いと言えます。
説2 強じんな人間
人間でありながら極寒の雪深い山々を練り歩き、クマをもしとめるという、まるで鬼のように強いことから又鬼(またぎ)と呼ばれるようになった説があります。
うん、これも腑に落ちます。
説3 旅をするように歩く
説1でも申し上げたように、マタギは山の中をとにかく歩きます。
そのため旅マタギとも呼ばれていました。
言葉の通り旅マタギと呼ばれるマタギたちは、狩猟のために北は樺太、南は長野や富山、奈良地方まで歩きました。
このようにいくつもの山々をまたいで歩いたことからマタギとなった説もあります。
マタギの歴史 ~マタギの開祖~
マタギの歴史は古く、マタギの開祖は盤司盤三郎(ばんじばんざぶろう)で、マタギの頭領となった話から始まります。

この話は今から1200年も大昔、850年頃平安時代(清和天皇)の頃にあった伝説として語り継がれています。
伝説によると盤司盤三郎は日光山の麓に弓の名手である盤三郎が住んでいました。
ある頃に日光権現と赤城明神が戦った際、盤三郎が日光権現の方に加勢したことで日光権現が勝利しました。
この勝利の手柄として盤三郎は当時の天皇から日本中の山々をもらいました。
その後、盤三郎は阿仁地方に移り住み以後消息を絶ったとのこと。
マタギたちは盤三郎の由緒を巻物に納め、門外不出の秘録として盤司盤三郎(ばんじばんざぶろう)を山神様として崇拝しています。
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時代とともにマタギの生活スタイルや道具は変わりました。
今ではほとんどが狩猟以外の仕事を持っている兼業マタギです。
ですが、自然を崇拝し、狩猟文化を守るマタギの精神は現在も阿仁地方に根付いています。
マタギ犬とは

マタギ犬
マタギ犬とは、マタギが狩りをするときに一緒に付いていき、狩猟のサポートをする犬のことです。
容姿はピンと立った耳、しっぽはくるりと巻いている巻き尾が特徴的で、毛並みは短い方がこのまれていました。
毛並みが長いと狩猟で雪山に入る際に体に雪が付くためです。
あとは雪深い山岳地帯でも疲れ知らずに走り回る体力を持っていること。
大型の動物にも勇敢に立ち向かう闘争本能を持っていること。
ただし、クマやイノシシに飛びつき噛みつくということではありません。
このような性質を持った犬のことをマタギ犬と呼び、昔からマタギと強い絆で結ばれていました。
マタギとマタギ犬
マタギ犬との狩猟方法
獲物を多く獲れるかどうかは犬次第とも言われていました。
そのためマタギはマタギ犬を良きパートナーとするために、マタギ犬を子犬から育てて色々な訓練を積み重ねます。

様々な狩猟法方法がありますが、その一例をご紹介します。
クマの狩猟
クマを獲る際は、まず犬がクマを追いかけます。
驚いたクマは木に登り、その木の下で犬が吠え見張ります。
クマは下にいる犬のことばかり気になって見ているので、マタギはその間に鉄砲で狩猟します。
この方法であれば高い確率でクマを捕らえることができるそうです。
また、穴の中にいるクマを探し当てて、穴の前に座りクマの居場所を教えます。
その際決して吠えることはありません。
クマに気付かれないように、シンシンと鼻を鳴らしたりアイコンタクトをします。
そして万が一クマが襲いかかってきた場合、、、しっぽを巻いて逃げることはしないんですね。
身軽にかわす、賢く立ち回りクマの気をそらす。です。
どんなに強い犬でもクマに勝った話は無いんだそう。
だからクマに対して正面から噛みつく犬であってはいけないと言われています。
小動物の狩猟
犬のよく利く鼻で、雪の下の穴中や木の穴の中にいるバンドリ(ムササビ)やテンの居場所を教えます。
湖畔や川辺で鳥を撃ち落としたとき、その鳥が水に落ちれば川などに入り、くわえて泳いで持ってきてくれます。
カモシカの狩猟
カモシカを獲る場合、犬がカモシカと奮闘しながら山の上の方へと追いやります。
そのうち雪が深くなり、カモシカが前に進めなくなり動けなくなったところをマタギが捕まえます。
マタギ犬に従う

マタギ犬として躾けられた犬は、獲物を見つけても無駄に吠えることなく、マタギに分かるようにシンシンと鼻を鳴らして教えてくれます。
マタギ家族はマタギ犬のことを大切な一員だと思っているので、クマやイノシシ1頭のために愛犬を死なせるようなことはしません。
獲物を捕るサポートをするだけで十分とされます。
犬の役割は狩猟だけでなく、マタギが狩りの途中で怪我をしたり動けなくなってしまった場合、犬が先に家に帰って家の人に知らせたり、
マタギがクマに襲われそうになったときは、犬がクマを威嚇し意識をそらしてマタギを守りました。
ガス漏れや火事を知らせるなど、様々な異変にいち早く気が付いて知らせてくれるのが犬。
自然と対峙しているときは、犬に従う精神でいる方が良いということなんでしょうね。
マタギ犬との生活
マタギはマタギ犬を家族と思い、子犬の時から生活を共にし、マタギ犬として成長するよう毎日訓練を積み重ねます。
モノを投げて持ってこさせたり、抱きかかえて水の中に入れることで水に慣れさせます。
犬が自分で獲ってきた鳥やウサギを飼い主の元にくわえて持ってきても、自分では絶対に食べません。
家の家畜には手を出さないということを教え、犬は決まり事を守ります。
その昔冬の山小屋に寝泊まりする際、寒い夜は背中で暖を取り合い寝ました。
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秋田犬のルーツ

秋田犬は昭和6年、日本で初めて天然記念物に指定された犬です。
天然記念物に指定されている日本犬6種類の中で唯一の大型犬です。
秋田犬の歴史は闘犬が盛んに行われていた時代があったことや、戦争による影響で何度も絶滅の危機にあってきました。
ですが、愛犬家や動物愛好家の人々によって大切に守られ現在に至っています。
江戸時代には全国各地の武士たちを中心に闘犬文化が広まっていました。
当時の大館城主も例外ではなく闘犬文化を受け入れました。
白神山地や阿仁森吉地域、奥羽山脈などの大館の周りの山々に存在している狩猟にすぐれたマタギ犬を見つけては連れて帰り、闘犬用に飼いならしたと言われています。
より強く、より大きいマタギ犬の交配を重ねた結果、大館犬という大型の犬が輩出されました。
当時大館犬と呼ばれた犬が、後の秋田犬となります。
このような歴史があることから、秋田犬のルーツは秋田マタギ犬あるいは東北マタギ犬から来ていると言えます。
マタギ犬の写真でも分かるように立ち耳、巻き尾の特徴を持っているところが秋田犬と同じですね。
マタギ犬は秋田から岩手に多く生息していて一時脚光を浴びたこともありましたが、現在はマタギそのものの数も減少し、狩猟に連れていくのに西洋犬が増えたことなどによって、マタギ犬の存在が消えつつあります。
秋田犬は明治時代以降も西洋犬との交配が進められる等で大型化し容姿も変化していきます。
秋田犬の歴史についてはこちらをご覧ください。
まとめ
いかがだったでしょうか?
今回はマタギと秋田マタギ犬についてまとめました。
マタギとマタギ犬は強い絆でつながっていることを改めて知ることができました。
またマタギがどのようにして狩りをするのかということを知ることができました。
何か発見があれば、これからも更新していこうと思います!
- マタギとは秋~春に山岳地帯で狩りをする人々のことである
- マタギの開祖は盤司盤三郎(ばんじばんざぶろう)である
- 秋田犬のルーツはマタギ犬にあった
- マタギ犬は狩猟を手伝い、飼い主を守った