【大館】人生を比内鶏、声良鶏、金八鶏に打込んだ山田定次氏

人物

 「秋田三鶏記念館」へ行くと鶏舎の前に看板があります。

鶏博士と言われた山田定次氏は私財を投げうって戦時中の食糧難を乗り越え

秋田三鶏を守り抜いた功績は大いなるものである

 山田定次氏とはどんな人物だったのでしょうか。

 調べたことをまとめました。

 

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山田定次はどんな人?

 秋田種鶏場に勤務した後、大館鳳鳴高校の事務長を務めました。

 比内鶏、声良鶏、金八鶏の秋田三鶏の飼育を行い、天然記念物への指定を働きかけました。

 その結果、比内鶏、声良鶏が国の天然記念物に指定金八鶏が県の天然記念物に指定されます。

 退職後は自宅に「天然記念物秋田三鶏資料収蔵庫 山田記念館」を設立しました。

幼少期

 山田定次さんは明治31年(1898年)、常盤木町に長五郎さんの三男として生まれました。

 家は農家でニワトリも数多く飼っていたとのこと。

 子供の頃は学校に行く前にニワトリに朝ごはんを与えるのが日課でした。

 ニワトリの朝はとても早く、寒い冬の日などは大変だったそうです。

 

比内鶏、声良鶏の愛育に目覚める

 大正10年(1921年)、営農指導員となり鶏とウサギの飼育を務めます。

  営農指導員…JAと生産者の間に立ち身近なアドバイザーとして営農を支える人のこと。

 その頃、東京上野の竹の台陳列館で家畜共進会が開かれました。

 竹の台陳列館とは明治末期から大正にかけて美術展の会場になった施設のことです。

 そこで山田さんは県の鶏管理人に任命されました。

 秋田県から出品された鶏は比内鶏と声良鶏です。

 全国から一堂に集まったニワトリをみて、

 声良鶏、比内鶏は全国のどのニワトリに比べても見劣りしないことに気付きます。

 「よーし、おれはこの2つの鶏を全国一にしてみせるぞ!」

 この時、山田さんはニワトリの愛育に目覚めたそうです。

 

鶏の研究と保存に尽力する日々

 それからというもの山田さんの鶏の研究が始まりました。

 竹の台陳列館で管理人を勤めている間も鶏について研究し勉強にはげみました。

 3年後、大館に帰郷してからは自宅に鶏舎を作り、みずから日本鶏の飼育を始めました。

 昭和7年(1932年)、大館市に県立種鶏場が作られると山田さんは収入が減るのを承知で、家族の反対も振り切り県立種鶏場に勤務、日本鶏の飼育員を担当しました。

 同時に外国種の大量輸入で絶滅の危機にあった日本鶏の保護を訴えるために保存会も結成しました。

 また比内鶏の純種が絶滅の危機にさらされていることを心配し、比内鶏の保存と改良に乗り出しました。

 その頃、山田さんは鹿角郡毛馬内町の神殿に納められているかなり古い年代に描かれたとみられる比内鶏写実絵を発見します。

 その比内鶏写実絵をもとに北秋田から由利地方まで県内各地を20年以上も探し歩きました。

 また肉質とエサの関係についても地域別に比較試験を行い、純種の交配と改良を重ねます。

 そういった山田さんの努力は各方面に伝わることとなります。

 東京大学農学部の鏑木教授から激励のお手紙が送られるようになり、さらに教授を大館に迎え入れて地鶏の生息状態を現地調査してもらえるようになりました。

 また、当時東京府長をつとめていた横山助成さん(大館出身)からも支援金や激励の手紙が届きます。

 

 しかし時代は太平洋戦争へ。

 食糧難と経済混乱から ”観賞用の鶏などもってのほか” と言われる時代となりました。

 が、山田さんは私財を投げうって戦時中の混乱を乗り越えました。

 


 

山田定次のここがすごい

秋田市立動物園へ天然記念物指定の比内鶏を寄贈

 昭和31年(1956年)、山田さんが当時千秋公園にあった秋田市立動物園へ天然記念物に指定されている比内鶏のつがいを贈りました

 山田さんが飼育している鶏のなかで天然記念物に指定されている鶏はただ一羽のみ。

 にも関わらずその一羽を秋田市立動物園に寄贈しました。

 (すべての比内鶏が天然記念物に指定されるわけではなく、指定される条件があるそうです)

◇山田さんの話◇

 手放すのが惜しいとも思いましたが動物園でより多くの子どもたちのお役に立てば幸いと思い、贈ることにしました。

 これから増々良い鶏を育てたいと思います。

 

伊勢神宮へ天然記念物指定の比内鶏を寄贈

昭和37年(1962年)7月、山田さんが伊勢神宮へ天然記念物に指定されている比内鶏のつがいをを寄贈しました。

全国から観光客が集まる伊勢神宮の内宮で放し飼いにし、比内鶏を紹介できたら

という思いから成された行動でした。

当時、伊勢神宮内に放し飼いにされていたニワトリは関西方面の東天紅とチャボ。

関東以北のニワトリが放し飼いにされるのは初めてでした。

伊勢神宮から感謝状を受章

 昭和37年(1962年)8月伊勢神宮 神楽殿内宮林より、寄贈した比内鶏の感謝状とおくり物が山田さんに授与されました。

 神宮では比内鶏が到着すると、すぐに神楽を奏し奉納しました。

 その際にお供えした大ヌサや神饌(しんせん)のすべてが山田さんのもとに送られたそうです。

   神饌(しんせん)とは…神社や神棚にお供えする供物のこと

◇山田さんの話◇

 比内鶏の奉納は実は三年前に行う予定でしたが、伊勢湾 台風が襲来したため神域も林もひどい被害にあわれました。

 今回無事に到着し、神域で育てられていると知って心から嬉しく思います。

 送られてきた神饌(しんせん)は塩、米、餅(代用) 、箸、スルメ、コンブなどで大ぶりです。

 思いがけない贈り物をいただき、嬉しく思っています。

 

退職金を使って声良鶏のふ化場を建てる

 声良、比内鶏などは 天然記念物のため、売ることも 食べることもできない。

 飼育の経費はかかるばかりで収入の道はない。

 という理由から飼育者は減る一方でした。

 それを心配した山田さんは大館声良鶏・比内鶏保存会を再結成します。

 また県に対して声良鶏のふ化場設置を働きかけます。

 そして昭和39年、高校の事務官を退職した際の退職金を使って、自宅の敷地内に県立声良鶏ふ化場を建設しました。

 山田さんは三鶏のふ化を始め何百羽ものふ化を成功させ、三鶏の保存を軌道に乗せました。

 

数々の賞を受賞

 社会教育と日本地鶏の保存に尽くしたことから数々の賞を受章されました。

 昭和36年 県教育功労表彰

 昭和45年 文化庁長官賞を受賞

  文化財保護法20周年記念式典だったこともあり、皇太子ご夫妻がご出席されました。

  山田さんはニワトリ関係でたった一人全国表彰されました。

 昭和49年 県文化功労章を授賞

功労金をまるっと秋田三鶏記念館に寄付

 昭和49年に県文化功労章で授賞した褒賞金をそっくり三鶏記念館に寄付されました。

◇山田さんの話◇

 今回の受賞は私個人のものではなく、三鶏保存会員の努力があったからこそ。

 報賞金をもとに鶏に関する新しい資料や学会誌を整え、三鶏記念館をさらに充実させたい。

比内鶏 の新しい一代交配種をつくることに成功

 時代はきりたんぽブームです。

 大館市ではブームに乗って比内鶏の一代交配鶏の増産計画が進められていました。

 きりたんぽの要は鶏肉の旨さにあります。

 山田さんは比内鶏と体質のあうメス鶏を研究し、野鳥のような比内鶏の風味が生きているきりたんぽ用の鶏を生み出しました。

 当時、比内鶏と一番体質があるとされたのは外来種のゼンタックでした。

 現在はロードアイランドレッドのメス鶏を交配させています。

 

資料を整理し後世へ

 

暁に 声聞く毎に 我が子等の 伸びゆく姿 眼に映るなり

 山田さんが喜寿を迎えたときに詠んだ歌です。

 昭和47年に建設された「山田記念館」の館長を務めた山田さん、ニワトリ関係の執筆や見学者の案内で忙しい日々が続きます。

 時間が空けば資料収集と整理、それは「この人はこんなことをやっていたのか」という思いからなるものでした。

 「先人の残した貴重な文化遺産を後々まで伝えたい」と日夜努力を重ねていました。

 山田さんのニワトリにかける情熱が衰えることはありませんでした。

 

 

年表

西暦/年号(年齢)

1898年/明治31年 常盤木町に生まれる

1917年/大正6年  北秋田群立農蚕講習所に入所

1921年/大正10年 北秋田群立農蚕講習所を卒業

         比内鶏における研究を始める

         大館の農会農業技術員になり養鶏とウサギの飼育をする

1922年/大正11年 上野の「竹の台陳列館」の銘鶏管理人となる

1930年/昭和5年 比内鶏の純種保存に努める

1932年/昭和7年 秋田県種鶏場助手を務める

1937年/昭和12年 声良鶏が天然記念物に指定される

1941年/昭和16年 大館中学校小動物 飼育指導係を経て鳳鳴高校事務官勤務

1942年/昭和17年 比内鶏が天然記念物に指定される

1954年/昭和29年 天然記念物の保護活動を称賛され東大教授から激励文を受ける

1955年/昭和30年 比内鶏、声良鶏の第1回展覧会が開かれる

1956年/昭和31年 比内鶏を秋田動物園に寄贈する

1958年/昭和33年 金八鶏が県の天然記念物に指定される

1960年/昭和35年 事務官を退職

1961年/昭和36年 県教育功労者表彰

1962年/昭和37年 7月:伊勢神宮に比内鶏を奉納する

          8月:伊勢神宮から感謝状を受ける

1963年/昭和38年 大館声良鶏・比內為保存会を結成 会長に任命

1964年/昭和39年 自宅裏に県立声良鶏孵化場を建設する。

1965年/昭和40年 比内鶏の一代交配種を作ることに成功

1970年/昭和45年 文化庁長官賞を受賞

1972年/昭和47年 天然記念物秋田三鶏資料収蔵庫山田記念館が完成する

1974年/昭和49年 県文化功労章を授賞

         功労金をまるっと秋田三鶏記念館に寄付

1983年/昭和58年 永眠

 

2010年/平成22年 大館郷土博物館の敷地内に秋田三鶏記念館が完成する

 

 

まとめ

山田定次さんはこんな人
  • 秋田三鶏を国や県の天然記念物指定に導いた
  • 声良鶏のふ化場建設を働きかけ、何百羽も鶏をふ化させた
  • 比内鶏の一代交配種を生み出した
  • 数々の賞を受賞した

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