大館市街地に鎮座している「大館神明社」の紹介記事です。
大館神明社とは
大館神明社は大館市の産土神(うぶすなのかみ)であり、「大館総鎮守」でもあります。
主祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)です。
正式な創立年代は不詳となっていますが、大館が始まった時代からの産土神(うぶすなのかみ)として、大館の地に鎮座していたといわれています。
その年月は1100年以上も前に遡ると云われています。
産土神(うぶすなのかみ)とは生まれた土地を守護する神様のことです。
ご利益は
「国家安泰」「子孫繁栄」「良縁成就」「健康長寿」「開運厄除」「五穀豊穣」
など・・・まるっとOKな感じですね、さすがです。
また、神社の設立当初から続いているお祭りが「大館神明社例祭」です。
毎年行われるこのお祭りは地域の文化に深く根付いていて、地元の人々にとって特別な意味を持つお祭りとなっています。
詳しくはこちらをご覧ください。
→【大館のお祭り】神明社例祭に参加 | 9月10日11日の祭典情報
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本殿にまつられている神様
天照皇大御神(あまてらすおおみかみ)
太陽神(たいようしん)、天皇家の祖神(おやがみ)、日本国民の総氏神(そううじがみ)です。
みずみずしい稲が実る豊かな日本のもとをつくった神様です。
初代天皇である神武天皇(じんむてんのう)が伊勢神宮にまつったことから、「お伊勢さま」とも呼ばれます。
その後日本国民の総氏神(そううじがみ)として、伊勢神宮から分類されて全国の神明神社などにまつられています。
大年神(おおとしのかみ)
年神(としがみ)さまとも言われます。
お正月、この年取りの神様がやってきて、一年を元気に過ごすエネルギーをあたえてくれます。
豊かな実りをもたらす神なので、五穀豊穣、家内安全のご利益があります。
年神さまをお迎えするために、しめ飾りや門松、かがみ餅をおそなえします。
また一年が良い年になるよう、無事と幸せを願って神社やお寺へ行って初詣をします。
お正月、大館神明社もまた初詣で賑わいます
倉稲塊神(うかのみたまのかみ)
稲荷神社でまつられている神さまで、「お稲荷さん」と呼ばれ親しまれています。
五穀豊穣、商売繁昌、家内安全、諸願成就の神として、先祖代々、私たちに人気があり深く信仰されています。
お稲荷さんといえばキツネを連想しますが、キツネはお稲荷さん(倉稲塊神(うかのみたまのかみ))のお使いということになります。
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大館神明社 ~歴史~
成り立ち
創立年代ははっきりとは分からないそうです。
ただ、大館が始まった当初から産土の神として、大館市小館花(泉町)の地に鎮座していたといわれています。
大館が始まったというのは大館が初めて歴史書に載った頃のこと、それは878年(元慶2年)平安時代の前期のことになります。
878年に、「元慶(がんぎょう)の乱」という事件が起きました。
大和朝廷による厳しい統治に対して不満を爆発させた大館地方の反乱軍が、秋田城を襲撃したという反乱軍の一揆事件です。
おそらく大館神明社はこの事件の際に記述されていたのではと考えられます。
現在の中神明町の地へ
それから約800年後の1675年(延宝3年)、江戸前期のこと。
当時、秋田地方を佐竹家が統治していました。
その佐竹家が先祖さまである、大館に住んでいた上平義景氏が佐竹家の地元の常陸(ひたちのくに)でまつっていた神様と、大館市小館花(泉町)にある古神明社と呼ばれている神様をあわせて現在の中神明町に大館神明社としてまつりました。
それから更に約200年後のことです、明治3年(1870年)の大館の大火災によって本殿が全焼してしまいました。
よって、明治3年より前の記録もまた失われてしまうことになります。
現在の社殿は明治9年(1876年)に再建されました。
1100年以上も昔から大館の総鎮守として崇敬されていたんですね
大館神明社 ~参拝~
本殿
大館神明社の本殿は、神明造りの建築様式で建てられています。
この本殿は、主祭神である天照大御神(アマテラスオオミカミ)をまつるための中心的な場所です。
正門を入ると、大館神明社境内案内図があります。
最初の鳥居から次の鳥居までの参道は砂利が敷きつめられていて、踏みしめながら歩くとザックザックという音がなります。
2つめの鳥居の手前には御手水(おちょうず)があります。
お参りの前にきれいな水で身を清める場所です。
手前に見える2つめの鳥居には「東宮殿下御成年式記念 大正八年五月七日」と刻まれています。
昭和天皇が成人になられたのを記念して建立したものですね。
狛犬さんに歴史を感じます。
弘化2年ということは、およそ180年前ということですね。
狛犬は神社を守る霊獣で、口を開けたアギョウと閉じたウンギョウの石像となっています。
こちらが阿形(アギョウ)。
こちらが吽形(ウンギョウ)。
拝殿の中を拝見いたしました。
この絵は、「天岩戸開き(あまのとびらき)」伝説と思われます。
「天岩戸開き(あまのとびらき)」とは
天岩戸(あまのいわと)に引きこもってしまったアマテラスサンを引っぱり出すために、岩戸の前で色々な神さまがお祭りさわぎをしました。
アマテラス「え…?外はどうして騒いでいるのかしら?」
岩戸の隙間からのぞくと、ウズメちゃんがパリピ踊りをしています。
アマテラスが外をチラ見するために少し空けた岩戸にカラオくんが手をかけ、岩戸を開けてアマテラスさんを外へ出すというお話です。
こうしてふたたび太陽の光がもどりました
他にも多くの絵がかけられています。
摂社・末社
大館神明社の境内にはいくつかの摂社・末社があります。
摂社や末社とは、本殿の神さまに関係のある神さまをまつったり、他の神社から分けていただいた神さまをまつっている社殿のことです。
神輿倉(みこしくら)
明治3年の大館の大火により焼失しましたが、明治7年に再建されました。
毎年9月10日、11日の大館神明社例祭では、神様にこの神輿倉(みこしくら)へうつって頂き、大館市内を巡行します。
大館天満宮(おおだててんまんぐう)
御祭神は菅原道真(すがわらのみちざね)です。
ご利益は学業成就、合格祈願、厄よけなどです。
不思議なほど、なかなかうまく撮れないお社なのですが、中の社殿も素敵な神殿造りとなっています。
大館の文化発展、学業成就を祈願するため、北野天満宮、太宰府天満宮、湯島天満宮の御祭神を奉納しました。
道真(みちざね)は、学問にたいへん優れた人物でしたが、政治争いなどの事情により九州の太宰府に左遷され、無念の死をとげた人です。
このようなことから天満宮に祭神としてまつられるようになりました。
道真が子供の頃は神童と呼ばれるほど学問に優れた人でしたので、学問の神、詩歌や書道の神として信仰されるようになりました。
古四王神社(こしおうじんじゃ)
なんだか強そうな名前ですね。
五穀豊穣と眼病平癒(がんびょうへいゆ)にご利益がある神さまとして崇められてきました。
大館の古四王神社は、もとを辿れば秋田市にある神社です。
崇神天皇(すじんてんのう)という、当時の日本である大和の国(やまとのくに)を統治するために数多くの凄いことをした人がいるのですが、古四王神社はその時代から祀られている神さまです。
崇神天皇(すじん)は初代天皇である神武天皇(じんむてんのう)と同一人物ではないかという説もあります。
御祭神はタケミカヅチ、オオビコのミコトととても強い神さまです。
北方地方からやってくる異民族からこの地を護る意味で秋田市に建立したといわれています。
タケミカヅチをアギタノウラノカミとして祀った。
と、云われているので、秋田という地名はこれが語源なのかもしれないですね。
それから何百年と歳月を経て、日本海辺りを統治していた上越~越中の大さまが崇めている神さまと蝦夷民族の神さまが融合したり、佐竹氏の入部があったりで古四王(こしおう)神社となりました。越王でもありますね。
大館神明社に建立された年月や、誰が何のためにというような詳細は不明となっています。
ですが、武神だけでなく町の庶民を守る神さまであったことは確かで、長い間鎮座していることが分かります。
石碑 ~猿田彦大神(さるたひこおおかみ)など~
石碑が好きな人にとっては、ドキドキするような空間ではないでしょうか。
最初からここに置いたのではなく、もともと別の場所にあった石碑を移動して並べてますよね、あきらかに。
他にも多くの石碑が建てられています。
大館の人々の信仰心が、刻まれた石碑に反映されていることが分かります。
まとめ
いかがだったでしょうか。
古い時代から大館の総鎮守として崇敬されてきた大館神明社は、大館の地の安定や繁栄をもたらす存在として信じられてきました。
今回、大館神明社の記事を書くために日本書記や歴史ついて調べましたが、秋田~大館地方の歴史や文化をあらわしている存在であることを、あらためて知ることができました。
大館神明社もまた地域の守り神として人々の幸せを願い、未来を照らしています。
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「大館神明社」の基本情報
- 所在地:大館市中神明町1-5
- TEL:0186-42-0846