本記事は、大館市釈迦内にある「釈迦内神明社」を紹介する記事です。
神明社といえば、天照大神(あまてらすおおみかみ)をまつる神社です。
天照大神(あまてらすおおみかみ)は、日本国民の総氏神(そううじがみ)として全国の神明系神社にまつられています。
大館市釈迦内にも「釈迦内神明社」が鎮座していて、天照大神(あまてらすおおみかみ)がまつられています。
ただ、神明社となったのは明治時代になってからのことで、その前までは「初七日山釈迦堂(しょなのかさんしゃかどう)」というお堂が建立されていました。
初七日山釈迦堂とは?釈迦内神明社の由緒とは?
それでは、古い歴史を持つ「釈迦内神明社」について深堀りしていこうと思います!
釈迦内神明社の歴史
釈迦内神明社の創建年代は大変古く、1262年の鎌倉時代中期にまでさかのぼります。
当時、建立されたおやしろの名前は「初七日山釈迦堂(しょなのかさんしゃかどう)」といって、唐糸(からいと)という美しいお姫様を供養するための”釈迦如来像”がおさめられていました。
唐糸姫を供養するために
釈迦内神明社の創建由来を語るには、唐糸姫の物語から始まります。

鎌倉時代の中期のこと、大変美しく、教養を持った唐糸(からいと)という名前のお姫様が鎌倉にいました。
唐糸姫は、鎌倉幕府の政治の権力をにぎっていた北条時頼(ときより)公に愛された女性でした。
あまりにも時頼公からの寵愛を受けてしまったため、他の側室たちからねたまれ、嫌われてしまい、やってもいない罪をきせられてしまうことになります。
流罪となった唐糸姫は鎌倉の海からながされ、青森県の津軽半島外ヶ浜という村に漂着しました。
外ヶ浜の村人に助けてもらった唐糸姫でしたが、年月が経つにつれて肌は日焼けをして黒くなり、体は痩せこけ、着るものもボロボロの姿に変わっていきます。
その翌年の夏、出家して全国行脚をしていた北条時頼(ときより)公が、唐糸姫の暮らす村を訪れたことからさらに悲劇が始まります。
池で洗濯をしていた唐糸姫が気配を感じて顔を上げると、旅をしている僧侶が北条時頼公であることに気が付きます。
驚きあわてて笠で顔をかくす唐糸姫でした。
これがきっかけで、唐糸姫は自分の身を恥じ、自ら池に飛び込んで絶命しまいます。
唐糸姫の絶命と気持ちを知った北条時頼は、胸を痛め深い悲しみに暮れました。
唐糸姫の葬式を行い、ていねいに供養した後、津軽から鎌倉へ帰るために南へ下ります。

時頼が津軽から矢立峠を越えて、現在の大館市釈迦内に着いた日が、唐糸が亡くなってから7日目でありました。
そこで時頼は初七日(しょなのか)の追善供養を行うため、釈迦内地区の獅子が森から樹木を運んでもらい、釈迦如来像を彫りました。
時頼は、彫った釈迦如来像を託し、釈迦堂を建ててほしいという旨を伝えます。
事情を知った釈迦内地区の人々は、時頼の依頼通り、小高い丘に釈迦如来像を納めた釈迦堂を建立しました。
この小高い丘が、現在の釈迦内神明社の場所だったということになります。
地域の人々は、末永く地域を御守りくださるお釈迦さまとして大切にしてきました。
地名が釈迦内となったのは、これによるものと云われています。

唐糸姫の悲しい物語の詳しい内容は、こちらの記事にまとめていますので、ご覧ください。
釈迦内神明社へ
釈迦堂が釈迦内神明社へと変わったのは、明治時代になってからです。
明治になると、政府が「日本は神の国」と言って神仏分離令を発動します。
明治時代の前までは、神仏習合といってこの仏さまと神さまは同居していました。
神仏習合だったときは、神社の中に釈迦如来さまや大日如来さまがいらっしゃって崇敬されていたり、反対にお寺の中に天照大神(あまてらすおおみかみ)や素戔嗚尊(すさのおのみこと)が鎮座されていたりした、ということです。
政府による神社から仏教を切り離せということで、それまで神社に祀られていた仏さまはどうなったでしょうか。
無くなるか、廃寺にならず存続を許可されたお寺に移動されるか、神さまとして姿を変えまつられるかといった選択に迫られることになりました。
唐糸姫を供養している釈迦如来像もまたその選択を余儀なくされ、一番近い場所にある釈迦内の実相寺(じっそうじ)に移されました。
唐糸の釈迦像が実相寺に移された後は、同じ高台の中にまつっていたお伊勢さまをご祭神としてまつるようになりました。
お伊勢さまというのは伊勢神宮のことで、天照大神をはじめとする日本の神々のことです。
よって、神社の名前も釈迦内神明社となりました。
現在は、唐糸姫の御霊も唐糸霊神として共にまつられています。
まつられている神さま
・天照大御神(あまてらすおおみかみ)
・唐糸霊神(からいとれいしん)
釈迦内神社 ~参拝~
鳥居の隣には車5~6台ほど停められる駐車場があります。






拝殿の中を拝見しました。
2023年に床などの改装が行われたこともあり綺麗でした。
下の絵は、三重県伊勢市にある夫婦岩ですね。
寄贈した方は、日景辨吉さんと書かれています。
日景辨吉さんは、釈迦内地区を始め大館の発展のために大変貢献されたすごい方で、道路を作ったり、学校や養成所を建てるなどした方です。
秘湯で有名な「日景温泉」を創設した方でもあります。

寛政7年に奉納された絵です。
立つ波と龍が描かれていますね。
寛政7年というと、今から230年以上前ということになりますね。



釈迦内神社のまわり
釈迦内神明社の前の道路をはさんで向かい側には川と橋が架かっています。
川の名前は「みだれがわ」
橋の名前は「かみだれはし」。
この橋もまた、唐糸姫の言い伝えがある場所です。
むしろ、釈迦内のこの場所にお堂が建立されるきっかけになった所だとも言えるでしょう。
唐糸姫のお話
北条時頼が青森から矢立峠を越えて初七日供養を終えて、みだれ川に架かっている橋を渡ろうとしたとき、背中の笈(おい)から唐糸姫の遺髪が風でとび、みだれがわに落ちたんだそう。
川に落ちた唐糸姫の髪は、沈むこともなく、流されることもなく、ただ漂っていました。
これを見た北条時頼は、唐糸姫の髪すべてを釈迦内に置いていくことを決めました。

みだれがわ
この言い伝えが元となって、みだれ川に架かる橋の名前は「髪垂橋(かみだれはし)」と名付けられるようになりました。
笈(おい)とは、今でいうリュックのようなもので、木製の背中に背負う箱です。
鬼滅の刃の竈門炭次郎は、禰豆子ちゃんを入れてましたね。

まとめ
今回は、大館では有名な唐糸姫伝説と、唐糸姫をまつっている「釈迦内神明社」について紹介させていただきました。
現在、唐糸姫のお堂がある実相寺については、こちらの記事をごらんください。
合わせて読むと、より詳しく知ることができると思います。
釈迦内神明社の基本情報
| 神社名 | 釈迦内神明社 |
| 例大祭 | 9月11日 |
| 住所 | 〒017-0012 大館市釈迦内字館18 |
| TEL | 0186-48-2555 |
| 駐車場 | 敷地内に駐車場有り 5~6台ほどのスペース |


