【大館】福徳弁財天と弁天神社を巡る|弁天さまの歴史・水との関係を考察

神社・寺院
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今回は、大館市幸町に鎮座する「福徳弁財天」と「弁天神社」、そして隣にある「文殊尊神社」を実際に訪ね、その由来や歴史について調べてみました。

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おとなり同士なのに高低差が?福徳弁財天神社と弁天神社

 子供の頃から思っていました。

「あの鳥居はなんだろうなぁ…」と。

皆さんの地元にも、そんな”気になりつつも通り過ぎてしまう場所”はありませんか?

また、ある日ふと疑問が湧きました。

「大館には弁財天さまをお祀りしている神社はあるのだろうか?」と。

調べてみると、ずっと気になっていたあの場所だったのです。

そこで、早速参拝しに行くことに決めました。

大館に鎮座している福徳弁財天神社と弁天神社はとても近い場所にあります。

ただ面白いのが、近場でありながらはっきりとした高低差があることです。

福徳弁財天は周囲よりも低い「くぼ地のような場所」にひっそりと佇み、かたや弁天神社は周囲よりも小高い場所に鎮座しています。

「いったいどこから境内に入ったらいいんだろう?」

と迷ってしまうほどの場所を、周辺の散策を楽しみながら訪ねてみました。

実際に調べてみて驚いたのは、大館地方で弁天さまをお祀りしている神社が、思っていたよりも少ないということでした。

弁財天さまは七福神の一人で、誰もが知っている神さま。

だからこそ身近に感じられますが、実際に神社としてお祀りされている姿に出会うのは、意外とレアなのかもしれません。

弁財天さまとは

七福神の1人 弁財天さま

七福神の1人で、唯一の女性でもあります。

もともとはインドから伝来した神さまで、水の女神です。

恵みを与える川の流れの音から「音楽の神」となり、琵琶を弾く姿が有名になりました。

人々にとって水は大切なライフラインであり、生命の源、魂の浄化など精神的に不可欠な存在です。

それゆえに、日本では、水や音楽・芸能、学問などと結びつき、さらに財福の神としても信仰されるようになりました。

では、大館の「福徳弁財天」「弁天神社」も水と関係があるのでしょうか?

参拝「福徳弁財天」

「福徳弁財天」が位置する場所は、周囲よりも少し低くい「くぼ地のような場所」で、お社は東向きに建てられています。

鳥居には「平成二十一年七月十日建立」と記しており、近年に再建されたことが分かります。

しかし、お社そのものの佇まいからは、かなり古い時代からこの地に祀られてきた歴史が感じられます。

お社(やしろ)の側面にも文字が刻まれていたのですが、残念ながら風化が進んでおり、読み取ることはできませんでした。

お社の横にはベンチ

草木に囲まれている

弁財天は水と深い関わりを持つ神として信仰されてきたため、池や川、湖など水辺に祀られている例も多くあります。

水と深い関わりを持つ神さまであることから、現在は周囲を民家に囲まれているこの場所も、かつては豊かな水場だったのではないか―――

そんな雰囲気が感じられます。

「福徳弁財天」に関するまとまった資料ま見つからず、具体的な歴史や建立の由来は謎に包まれています。

では、なぜこの場所に福徳弁財天が建てられたのでしょうか?

ここからは、筆者独自の視点といくつかの手がかりをもとに、その理由を考察していきたいと思います。

なぜ大館に福徳弁財天が祀られたの?

※ここからは、現地の様子や確認できた資料などをもとにした筆者個人の考察です。神社の由緒として確認されたものではありません。

考察1 「弁天町」という地名との関係

辯天講 大館神明社の例大祭

「福徳弁財天」の近くには、明治時代から大正時代にかけて「弁天町」と呼ばれていた町内がありました。

現在の正式な町内名は「大館」「幸町」であり、「弁天町」はあくまで通称名です。

これを知った地元の方の中には

「え?弁天町ってないの?」

と驚かれる方もいるかもしれません。

それほど、今でも地元の人々の間では「弁天町」という呼び名が自然に浸透しています。

大館神明社の例大祭において、かつての弁天町から出陣しているのが「辯天講」の山車です。

実は筆者自身も、現在まで公式に存在すると思っていた弁天町が、地図を見たところ存在していないと知り驚きました。

辯天講 大館神明社の例大祭

当時、弁天町通りにはさまざまな商店が軒を連ね、大変な賑わいを見せていたといいます。

そうした活気のある街の終わりの場所に、人々の信仰を集める「福徳弁財天」が建立されたのではないか―――

そんな背景が浮かび上がってきます。

考察2 かつて水の流れがあった場所だった?

弁財天さまが祀られた理由としてもうひとつ考えられるのが、「水との深い関わり」です。

大館市の東方の鳳凰山などの山々から湧き出る水が、かつては小川となって市内を流れていました。

現在、その小川は用水路として整備され地下を通っていますが、市街のあちこちには、名残を感じられる景色が残されています。

もしかするとこの場所も、昔は水路が通り、水が溜まる空間だったりさらには井戸水が湧く場所だったのかもしれません。

青森県 湯ノ島

神奈川県 江ノ島

広島県 厳島

弁財天といえば、青森県の「湯ノ島」や神奈川県の「江ノ島」のように、水辺に祀られているのが全国的な特徴です。

やはり弁財天は、水と深い縁を持つ神さまのようです。

参拝「弁天神社」「文殊尊神社」

弁天神社と文殊尊神社の境内へは、旧国道7号線から入り、小道を上っていきます。

上り坂

上り坂終点 見えてきました

弁天神社

参拝した日は社殿にのぼり旗が掲げられており、例祭が行われるような雰囲気でした。

のぼり旗には「大国主(おおくにぬし)神社」「厳島(いつくしま)神社」。

「厳島神社」も弁財天がお祀りされていることで有名です。

「明治四十五…」 風化により解読不能

境内前の石柱は、風化により解読不能でした。

文殊尊神社

弁天神社の隣には「文殊尊神社」が鎮座しています。

「文殊尊(もんじゅそん)」と聞くと、仏教の「文殊菩薩(もんじゅぼさつ)」を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。

実はその通りで、もともとは仏教の仏さまだったのですが、ここでは「神さま」としてお祀りされています。

なぜ神社でありながら、文殊菩薩という「仏さま」の名前の神さまが祀られているのでしょうか。

その背景には、日本の歴史を揺るがした大きな政治的な転換があったからなんです。

かつての日本には、神さまと仏さまを同じ場所で一緒にお祀りする「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」という信仰が長く根付いていました。

しかし、江戸後期から神と仏を分離するという思想が広まり、明治時代になると政府から神仏分離令が出されます。

国家として神道を重んじる世の中へと変わり、全国の寺社が厳しく切り分けられることになりました。

中にはお寺や仏像が激しく排除される動き(廃仏毀釈)もありました。

そんな時代であっても、人々は仏さまをただ排除することを選びませんでした。

「それなら、神社の神様(文殊尊神社)へと姿を変えて、これからもお祀りしよう」と考えたのです。

かつて寺院だったかもしれない場所

ここからは、筆者の考察になりますが、かつてこの場所には寺院・お堂があったのかもしれません。

明治以降、寺院が廃寺へと進んでいく中で弁財天や文殊菩薩を守ろうとした人々が、神社へと姿を変えさせたのではないでしょうか。

まとめ 謎はまだ…

福徳弁財天と弁天神社、そして隣に鎮座する文殊尊神社。

今回調べてみても、この場所がいつ、どのような理由でつくられたのか明らかにすることがはできませんでした。

それでも、かつての「弁天町」という地名や、大館の水の流れ、そして神仏習合と神仏分離の歴史を重ねてみると、この小さな神社には大館の町の歴史が凝縮されているようにも感じます。

まだまだ謎多き神社ですが、今後、由緒や古い資料など新しい情報が見つかったら、この記事にも追記していきたいと思います。

あわせて読みたい

大館市には、城下町の歴史を感じられる神社や、地域で大切に守られてきた寺院が数多くあります。

大館の社寺めぐりに、散策の参考に、ぜひチェックしてみてくださいね。

福徳弁財天・弁天神社の基本情報

神社名  大館 福徳弁財天
ご祭神弁財天
住所〒017-0847
秋田県大館市幸町5-1    
駐車場なしです
最寄りP:大町ハチ公コインP
神社名  大館 弁天神社・文殊尊神社
ご祭神弁財天・文殊菩薩
住所〒017-0847
秋田県大館市幸町3-36    
駐車場なしです
最寄りP:大町ハチ公コインP